世渡りは難しい

やぶからぼうに申し訳ないが、
自分で言うのも変だが、世渡りが苦手だ。
というか、世渡りの「常識」というものがないようだ。

例えば、飲み会での話。
つがれたお酒は飲まなきゃいけない、みたいな空気になるときがあるが、
飲みたくないときは飲みたくない、とはっきり言うようにしてる。
他の人からすると、それは「空気読めよ〜」らしい。



沖縄での学会の懇親会の後、駅のホームでうちの教授とバッタリ会った。
ドクターの先輩が「先生、どちらのホテルにお泊りですか?」と聞いた。
すると、「国際通り沿いのJALホテルや。」と言いはった。
前日に、国際通りを歩いていて見ていたので、どんなホテルかは知っていた。
通りのほぼど真ん中に位置していて、ロビーも品がよさそうなホテルだった。
そこで僕は、「あーあのすごく立地がよくて高そうなとこですね。」と言うと、
いっしょにいた2人にたしなめられた。
「先生には高くないから。そんなこと言うたらあかんて。」
たしかに、そういえばそうかもしれない。
2人はそういう気が回るのだろう。
僕は、思ったことがすぐ口や顔に出てしまう。



上の話とはちょっと変わるが、
僕は、何でもかんでも「理由」を知りたがる。
なぜそうなのか、を納得しようとする。
逆にちゃんとした理由がないと、受け入れられない。


以前書いたことがあるが、
ネクタイはなぜ装着するのか? ネクタイの存在意義は?
という疑問があったが、
結局、納得できる答えは見つかってないので、
もうネクタイは締めたくない、と思っている。
かといって、締めてないと不都合な場合があるので、
そのときは我慢して締めるつもりでいる。


社会に出ると、車に乗るときやエレベータに乗るときでさえ
上下関係によって席が決まってるらしい。
なんか理由があるのかどうか知らん。
もし理由もわかってないままそんなことやってる人がいるとしたら、
何やってんの?って思ってしまうだろう。
でもそれが「常識」として認識されてるんだろうな。


僕はちゃんと納得しない限り、
そういう「常識」には出来る限り従わないようにしてる。
理由も無いのに、言われるままに動くなんてシャクだし、
気分的に不自由な感じがして窮屈だ。




「常識」にとらわれずに、自由に生きていきたい。
その代償は「非常識」or「変わったヤツ」のレッテルを貼られることだろうけど。